2016年8月26日 15:31
徳化堂
台南市内やや南部、府前路一段の南門路との交差点と開山路との交差点とのほぼ中間地点にある廟。
徳化堂は、齋教龍華派の布教場所として創建された。
齋教とは、こちらのサイトによれば
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中国の在家仏教の一つで、明の初めに起こり、明末に台湾に伝わった。厳格に菜食を守って信者同士を菜友といい、賭博・飲酒を厳禁する。男性を斎公、女性を斎姑といい、道場を斎堂という。釈迦・弥陀・観音を敬い分派もある。
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とのことであるが、日本で言う臨済宗のことである。
齋教には3つの分派があるらしいので、そのうちのひとつが龍華派なのだろう。
ちなみに、廟でいただいた冊子には龍華派の宗旨として「在家菩薩智非常、鬧市叢作道場 心地若能無罣礙、山平地總西方」と書かれている。
清嘉年間に福建省から台湾に渡って来た門人が徐々に信徒を増やしていき、嘉慶4年(1799年)に安平に「化善堂」という名前の廟を創建した。
ついでその15年後に「徳善堂」という廟を創建し、道光18年(1838年)に現在の場所に「徳化堂」を創建したという。
その後、この徳化堂は大いに隆盛を極めたが、日本統治時代に入ると徳善堂は破壊され一部の文物はは徳化堂に移された。
日本の統治が終わると徳化堂は再び人を集めるようになり、現在の形になるまでたびたび修復が行われた。
人工的に造られた階段を登って敷地の中に入ると、おそらくコンクリート製と思われる小さな堂が見えてくるが、両脇の壁の最上部には花の入ったカゴのようなものを加えた獅子(?)がいたりして、ちょっと普通の廟とはことなる不思議なものがところどころにある。
入っていいものかどうかが通りからはよくわからないので、階段を少し上がって中をのぞきこむようにしていたところ、信徒の方であろうか、通りかかった日本語の少ししゃべれるおじさんが声をかけてきて、上に紹介した龍華派の宗旨を含め廟について紹介している冊子をくれたうえ、中を案内してくださった。
大通りに面しているが内部は人もおらずしんとした感じで、台南(台湾)の廟ではあまり感じられない少し張り詰めたような空気が漂っていた。
有名な孔廟や延平郡王祠からも500mと離れていないので、ぜひ立ち寄ってほしい廟だ。

【2014年10月撮影】

2016年8月11日 18:08
全美戲院
台南市内中心部、民権路二段と永福路二段との交差点から後者をほんの10-20m南に進んだ右側にある映画館。
自分は最初、日本統治時代に建てられた建物だと思ってるたびにそのレトロな雰囲気が好きだったのだが、実際には1950年開業だそうだ。
第二次世界大戦後それほど時間が建っていないので、もしかしたら日本統治時代の影響を受けているのだろうか。
しかし、実はここは今では珍しい手書きの看板を掲出していることと、米アカデミー賞の監督賞を2度受賞したことで有名な映画監督、アン・リーが通っていた映画館としても有名だ。
アン・リー自身は台南ではなく屏東県の出身だそうだが、ここまで通っていたのだろうか?
手書き看板に隠れてしまって物そのものを細かく見ることができないのが自分としては残念なのだが、風合いのある手書き看板を見るのもそれはそれで楽しいと思う。
よほど興味があるのでなければわざわざ来ることはないと思うが、市内中心部にあるので、ほかのスポットを観光するついでに通りかかったら、ちょっと立ち止まってみるのがいいだろう。

【2014年10月撮影】

2016年8月 3日 14:27
建安宮
市内南西部にある「下林建安宮」という別名を持つ廟。
市内中心部からだと、西門路を南下してきて新光三越台南西門店の南側の交差点を右折して樹林街二段に入り、150mほど西に進むと大徳街141巷という路地があるのでそこを左折、さらに150m進んだ四つ角にある。
あるいは、西門路を新光三越からさらに100mほど南下すると南寧街との交差点に出るのでそこを右折、200mほど行った左側になる。
創建道光6年(1826年)と比較的新しく、民国21年(1932年)、そして50年(1961年)にも大規模な改築が行われている。
そのため、外観・内部ともにそれほど古さというか歴史は感じられない。
主祀は中壇元帥で、ほかに玄天上帝、金吒、木吒元帥,代天巡狩朱府、馬府、金府三千歲、註生娘娘などが祭られている。
昔、この一帯は別名にある通り「下林」と呼ばれており、昆沙宮が人々の信仰を集めていた。
人々は、日中は漁業や農業に従事しており、夜になってからこの昆沙宮にお参りするというのが普通であったのだが、そのためには小西門を通る必要があった。
しかしながら、小西門に門限が設けられたため人々はに昆沙宮にお参りすることができなくなってしまった。
そこで昆沙宮から太子爺の像を現在の建安宮の場所に持って来て、小さな祠を建ててそこにお参りをするようになった。
そして、多くの人々がこの場所に夜に限らず朝などにもお参りするようなったので、この場所に本格的な廟を建立して太子爺の全身にお香や火をあてた上で金色に塗って中壇元帥と称するようになったらしい。
こじんまりとした廟で、日中はお参りする人もそれほど多いようには見えないが、今でも地元の人々からは篤く信仰されているようで、線香が絶えない。











【2012年11月撮影】

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