2016年3月 2日 17:41
全臺開基永華宮
台南市内やや南寄り、南門路と府前路一段の交差点から後者を70-80m東に行った左手にある府前路一段196巷を入ったところの路地の中にまぎれるように立つ廟。
孔子廟からだと、やや南寄り向かいにある府中街に入って100mほど行った右手にある開山路122巷を入って行ったほうが近い。
台南市政府観光旅行局が作成したパンフレットによれば、
=======
永曆16年(1662年)に現在の台南女中の近くの山尾と呼ばれる場所に「鳳山寺」という名前で創建された。この名前は、もともと福建省安南にある鳳山寺の分寺として創建されたことに由来する。
現在は主神としては廣澤尊王が祭られているが、元々は鄭成功の臣下だった陳永華参軍が祭られていた。陳永華がこの世を去った後の乾隆15年(1750年)に民衆が台湾の文化教育への貢献を感謝し、改修を施すとともに廟名を永華宮と改名した。
日本統治時代の大正13年(1925年)に、寺院のあった場所に政府が台湾銀行を建設することになり、孔子廟の対面である「六合境柱仔行」と呼ばれる現在の場所に移築された。その後、1946年、1958年と改築が加えられ、現在の形となっている。
廣澤尊王の周りには、尊王夫人妙應仙妃、陳永華總制、南斗星君、北斗星君、三坪祖師、達摩祖師、中壇元帥、天真聖祖、文昌帝君、月下老人、福德正神等神明が祭られている。
永華宮と府中街の地域社会は密接に関係しており、普段から太鼓の伝統芸が学べるだけでなく、ランタンフェスティバルを行うなど、子供たちが歴史を理解できるようになっている。
=======
とのことである。
ちなみに、廣澤尊王は中國福建省泉州の南安地方の土着神で,「保安尊王」、「保安廣澤尊王」、「郭相公」「郭聖公」、「郭聖王」、「翹腳王」、「聖王公」などの別名を持つ。
日本語のガイドブックなどには紹介されておらずあまり訪れる人もいないのか、自分が行った時には日本語が多少できるお年寄りの方がつきっきりで廟の中を説明してくれて、最後にお茶までごちそうになってしまった。
その方によると、主神の廣澤尊王が右足を左足の膝の上に乗せているのは、母親が尊王を持ち上げようとしたが重たすぎて何度も失敗してしまったので、持ち上げやすいように尊王がこのような体勢を取ったからなのだそうだ。



【2014年10月撮影】
| 「見る」TOP |
中華航空は本社より安いことがあります
海外で高評価を受けている台湾企業のパソコン
1台で、世界の330以上のネットワークが使え、160カ国以上で利用が可能!
ストレスフリー♪トコトン便利に使える旅行サイト
日本を代表する書店と言えば
デジカメなどのハードからフォトプリントなどのサービスまで